2024年2月17日土曜日

言葉は歴史の産物(6)

 芸能人やスポーツ選手の性に関する事件がこのところ相次いで発生している。その中でも、一際世間の注目を集めているのがダウンタウンの松本による一連の行動なわけだが、私が松本の不祥事よりも遥かに深刻だと思うのは、「性加害」なるヘンテコな言葉を用いて彼らの不祥事を報じるマスコミの日本語荒らしである。恐らく、「性加害」なるヘンテコな言葉を用いる人間は、被害者 ↔ 加害者といった関係から、加害を被害に対置させているのだろう。しかし、加害は単独で使用可能な被害とは異なり、「加害者」という形でしか用いることができないのである。
 また、この性加害なる言葉は、「性」を接頭辞のように用いているが、性加害なる言葉も日本語には存在しない。もちろん、<性+2字熟語>はいくつも存在する。しかし、以前も説明したように、これらは性加害とは異なり“あらかじめ存在する3文字の熟語”なのである。そして、これらの言葉は英語で sex(ual) ~ と表現される。それでは性加害は英語でどう表現するか。表現できるわけがない。なぜなら、加害などいう言葉は英語にも日本語にも存在しないのだから。存在しない2字熟語に存在しない接頭辞を組み合わせた言葉、これが「性加害」なるヘンテコな言葉の正体である。
 あらかじめ存在する
<性+2字熟語>の中で、松本の女性に対する行動に最も近いのは「性犯罪(a sex crime) 」だが、犯罪かどうかは今のところ確定していないので、「性暴力」が適当だというのが私の意見。ただし、これも造語のフシがあるので、単に「暴行」としておくのが無難だろう。【暴行】は「他人に対して暴力を加えること。〔狭義では、女性を手込めにすることを指す〕」といった意を表し、【手込め】は「暴力で人に迫害を加えること。〔狭義では、強姦を指す〕」といった意を表す。
 この松本に対する反応は様々で、ある人間は「(飲み会に)行く女の方が悪い」あるいは「途中で帰れた」と松本を擁護し、また、ある人間は「奥さんと子供がいるのに不倫をするのは最低だ」と松本を批判する。しかし、これらの意見はどれも的を得ていない。松本のような芸能人の周りには、金をせびろうとする手合いが必ず現れるもので、今回の不祥事は、それを警戒せずキャバクラや風俗を利用しなかった松本に全ての責任がある。それにも関わらず、前者はこういった脇の甘さが全くと言っていいほど考慮されていないので✕。一方、後者はあまりに幼稚過ぎるので、これまた✕。確かに不倫は評価されるべきものではないが、田辺聖子さんの言うように「不倫は家庭の常備薬」であるならば、一概に否定はできないのである(田辺さんは大人だなあ…)。
 しかし、松本が自分の未熟さ以上に恥ずべきなのは、その魅力の無さであろう。もし松本が魅力的な男なら、関わりのあった女性は「松本に迷惑は掛けまい」と週刊誌に情報を提供しなかったはずだ。例えば豊田真奈美選手が大好きな
福山雅治がそうであるように、魅力のある男というのは、こういった決してイイ女とは言い難い異性とは無縁なものである。前回、ZOONさんが女の子に手を引っ張られていたという話をしたが、男ならこうでなくてはいけない。私はNさんほどモテモテだったわけではないが、それでも石田ひかり似のガールフレンドに「捨てられる…」くらいは言わせたことがある(爆笑)全ては女性にこういった行動を起こさせた松本が悪い!
 昨年、坂本龍一さんがガンで亡くなった。その坂本さんがガンを公表した際に私が思ったのは「やっぱりな」である。なぜ、私はそう思ったのか。それは、彼が先の松本および浜田のダウンタウンとTVで漫才をやってみせたり、ダウンタウンを GEISHA GIRLS に仕立てて活動していたからに他ならない。教授の所属していたYMOについては百々徹さんという方が素晴らしい文章を書いているが、坂本龍一はサブカルチャーをプロパガンダするセンス⁼エリートなのだ。一方、私が20年ほど前から「ジャンクフード」と呼んでいるダウンタウンは古川ロッパと違って教養が無い。松本と焼き肉を一緒に食べる仲だった安倍晋三が良貨かどうかは分からないが、やはりジャンクフード悪貨は良貨を駆逐する(死に至らしめる)のである。
 今は新NISAが何かと話題になっているが、今年ものっけからヘンテコな言葉が氾濫しているので、投資を考えている方はくれぐれも細心の注意を払うことを忘れなく。その際、
仕事が減るのを顧みず松本を擁護した勇敢(?)な人間のことがしっかりと頭に入っていれば、きっと彼(彼女)らがアナタにショートすべき銘柄を教えてくれることでしょう。遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。どうぞ本年も宜しくお願いします。

これは93年に銀座で開催されたパンク展で購入したもの。90年代前半は本当に目まぐるしかった。夏までダンスに夢中だった人間が冬にはACID JAZZやパンクにハマっていたのだから。この頃、ア⁼ストア⁼ロボット(ここも地下!)で購入したお店オリジナルのベルトをベルトが引きちぎれるまで10年以上使用していたのは良い思い出。

 これは93年に銀座で開催されたパンク展で購入したもの。90年代前半は本当に目まぐるしかった。夏までダンスに夢中だった少年が冬には ACID JAZZ や PUNK にハマっていたのだから。この頃、アストアロボット(ここも地下!)で購入したお店オリジナルのベルトをベルトが引きちぎれるまで10年以上使用していたのは良い思い出。

               「ル⁼ミレニュム」

左)パンクの仕掛け人マルコム・マクラーレンがPUNK19761977を総括する
  / MALCOLM MCLAREN

右)‘90年代のサイバーカルチャー / 浅田彰(評論家)

 坂本龍一は90年代に入っても、やはり伝道師だった。もし彼に出会わなければ柄谷行人や浅田彰という名前を知ることは無かったし、学問に興味をもつことも無かっただろう。教授の死は本当に残念でならない。


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 「フリカケ論争」

 つい最近、どこぞの界隈でフリカケ論争なるものが巻き起こったらしいが(フリカケがテーマだなんて、きっと吉本隆明さんは天国で苦笑いしていることだろう)、この論争に参加した自称論破王なる人間は「出された料理の味を勝手に変えるの失礼だから、学校はフリカケの持参を認めるべきでない」と宣ったそうだ。これを聞いて、私は思わず笑ってしまった。ラーメン屋で出されたラーメンに胡椒をかけるのが失礼にあたるだなんて話は、あまり聞いたことがない。
 
そもそも、なぜフリカケ持参の是非が論争になるのか。ご飯を食べるのが嫌なら残せばいい。しかし、そうはいかないから論争になるのだろう。私の弟はよく給食を残して教師に注意されていたようだ。そうであれば、子供がご飯を残さず食べる方法を提起できた方がこの論争の勝者ということになる。ご飯を残す事は農家の方に失礼であり、子供の成長にとっても好ましくない。
 その昔、ダウンタウンの松本がラジオで「例え食糧難の国の人間であっても、腹が一杯ならご飯は残す!」といった趣旨の(無教養な人間にしては立派な)発言をしたことがあった。これは味についても言えることで、日本の文化遺産である『美味しんぼ』には、どんなに空腹でも不味いものは食えないといった話が出てくる。体を大きくするために無理やり食べ物を胃の中に放り込むプロレスラーならいざ知らず、小学生はプロレスラーではないのだ。舌にあわないものを食べるのは大人にだって難しい。学校は今すぐカルシウムのたくさん入ったフリカケを各クラスに常備すべし!
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