2024年8月26日月曜日

大人の論理・子供の論理

 私が日本の自動車に「誤作動」なるヘンテコな言葉を用いた機能が搭載されていることを元プロレスラーの対談を通じて知ったのは、もう随分前になるだろうか。つい最近、その自動車メーカーの1つであるトヨタ自動車(7203)の株が暴落した。私は自動車にあまり興味が無いので、どの自動車メーカーのものなのか或いは全社共通なのかまでは調べなかったが、やはり、あの時ちゃんと調べておくべきだったのだ。もちろん、国が検査の不備を指摘したことが暴落の直接的な原因となったのはその通りだ。しかし、元プロレスラーの喋っていた自動車というのはトヨタの製品だったのではあるまいか。
 前回、私は「性加害」なる言葉が、先の「誤作動」同様、オカシな言葉であることを指摘した。その際、私は「性加害 = 存在しない2字熟語に存在しない接頭辞を組み合わせた言葉」としたわけだが、性加害の性は正しくは接頭辞ではなく英語には存在しない連体詞(名詞1+ 名詞2の名詞1)であって、性を
漢字1文字から接頭辞としたのは私のミスである。この場を借りてお詫び申し上げたい。ところで、「性」と言えば、つい先頃、パリ オリンピックに出場した女子(?)のボクシング選手が物議を醸しだした。これも、昨今、何かと話題になっているLナンチャラなる運動の影響なのだろうが、私はこんなものは絶対に認めるべきでないと考える。それは、試合の内容が酷かったからというのも勿論あるが、それ以上に、精神的な内容による男女の差異の定義は社会に混乱を招く元凶でしかないからである。
 鷲田師匠は「日本人とは何か」という問いに、メチャクチャ難しいと前置きした上で(四方田犬彦著『越境のレッスン』を読めば、それが良く分かる)、とりあえずは「日本語を母語とする人間[最初に習得した言語が日本語である人間]」と答える。私もこの意見には賛成だ。少し余談になるが、私がまだ評論家のK先生が講師を務めるS台の「人文系論文」を受講していたころ、この講座で仲良くなったT君に以下のようなFAXを送ったことがあった。

  「 1.  思考 = 言葉
    2.  言葉 = 実体
    3.  我思う、ゆえに我あり 」

 「1.人間は言葉によって思考する」および「2.人間は言葉によって対象を認識する。」これはソシュール等で知られる記号論の考え方である。そして、「3.我思う、ゆえに我あり」は皆さんご存知のようにデカルトの言葉である。そして、ソシュールはデカルトのずっと後に生まれた哲学者。つまり、私は「あらゆるものを疑っても、それを疑っている自分の理性だけは疑えない。だから、自分という人間が存在するんだ。」というデカルトの言葉を「思考する際に用いる言葉によって、思考する人間は認識可能な対象となる」と読み直したわけだ(私は今でも、これを哲学史上の大発見だと思っている)。そうであるならば、当然、鷲田師匠の言うように“日本”語てにをは(玉の緒)を母語とする人間こそが日本人ということになる。ちなみに、
ピーター フランクルさんが「1987年にフランス国籍を得たので、(ハンガリー出身の)ぼくのパスポートにはフランス人と書いてある。だが、ぼくは自分のことを『無国籍人』と思っている。」と著わすように、行政上の扱いはもっと単純である。
 これは性別も同様で、それを男と呼べる或いは女と呼べるから男或いは女と呼んでいるのであって、その【男】或いは【女】は何かと言えば、辞書にもあるように「人間のうち、雄[雌]の性器官・性機能を持つ方。」なのは言うまでもない。それでは、澁澤龍彦でお馴染みの「両性具有」の人間は男と女のどちらか。ここで初めて男か女かの問いが生まれるのであって、形式的[外面的]に定義できないものを根拠とするのは、銭湯や公衆トイレの利用等において要らぬ混乱を招くだけなのだ。今我々に求められているのは性に対する「大人の態度」であって、Lナンチャラの提唱するような性からの解放などでは決してない。日本の最高裁が広島高裁の下した判決を退けることを切に願う。


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「ダンス事始め」

 今年からオリンピックの種目にブレイキンが採用されたが、そのブレイキンを含めたブレイクダンスが日本に入ってきたのは、
今から約40年前。映画『フラッシュダンス』が公開されたことに端を発する。そのブレイクダンスは風見慎吾によって広く日本人に知られるようになるも、やがてブームは去り、彼のバックダンサー始め、当時のブレイクダンサーは皆一様にブレイクダンスをカッコ悪いものと捉え、ダンサーであったことを隠すようになる。しかし、これが後のダンスブームの布石となるのだから、世の中、何が起こるか分からない。
 その後、日本テレビの「ダンス甲子園」が日本に一大ダンスブームを巻き起こすこととなる。そこでは、初期のブレイクダンサーが“カッコ悪いもの”と捉えていたブレイクダンスが福岡出身(東京ではなく福岡というのがミソ!「ダンス甲子園」については、非売品の自伝に「すべてはダンス甲子園から始まった」という章を設け、詳しく論じたいと思う)のLLブラザーズやインペリアルによって存分に披露され、風見慎吾しか知らない我々世代に物凄い衝撃を与えた。もし、風見慎吾以降もブレイクダンスが恒常的にお茶の間に届けられていたならば、きっとダンスが一大ブームになることなど無かったに違いない。世の中、本当に何が起こるか分からないものだ。
 私は自分の通った学校に友人と呼べる人物は1人もいなかったし、TVの普及と関係があるのだろう、今氏乙冶(吉本隆明)・佐藤順太(渡部昇一)・藤本進治(谷沢永一)に相当するような恩師も1人もいなかった。しかし、最近、同じ中学のM屋君が非常に大きな存在であることに気づかされた。なぜM屋君は私にとって非常に大きな存在なのか?それは、ダンス甲子園で使用されていた曲がヴァニラ
アイスや SNAP のものであることを教えてくれたのがM屋君だったからである。
 特に、後者の曲を教えてもらった時は本当に嬉しかった。
この曲は番組内に曲名のクレジットが無かったため、私はこの曲に登場する「I’ve got the power」というフレーズから、当時、洋楽のチャートにランクインしていた「POWER OF LOVE」に当たりをつけ、この曲の収録された Deee-Lite の『WORLD CLIQUE』をレコード屋に注文していた。しかし、届いたCDをさっそく聞いてみると、その曲は番組で使われていた曲とは全く別の曲。そういったことがあり、すっかり気を落としていた私に「それは SNAP The Power っていう曲だよ」と教えてくれたのがM屋君なのだ。そういえば、『東京ラブストーリー』を毎週欠かさず見ていた私に「江口洋介と織田裕二は昔『湘南爆走族』という映画に出ていた」と教えてくれたのも彼だったっけ。
 その後、M屋君は進学校へと進学。「私の履歴書」でも触れたように、私は家から近いというだけで選んだ高校に進学し(流川楓か!)、プロダンサーを志すこととなる。そして、それ以来、彼とは一度も顔を会わせていない。また、ブレイクダンサー同様、私がNYスタイルに移行し、 New Jack Swing を世に広く知らしめた「ダンス甲子園」や『CLUB DADA』を熱心に見ていた過去をカッコ悪いものと捉え封印するようになるのもこの頃である。
 
それ故、まだ EXILE が J Soul Brothers だった頃の HIRO 今から約25年くらい前(封印してから10年くらい後)にホンジャマカの恵俊彰が司会を務める Tokyo FM の番組に出演した際、そこで Bobby Brown の「Every Little Step」をリクエストした時は何とも言えない気持ちになった。「ああ、今でもニュージャックを大事にしてるんだなあ」と。そんな私は、今、ZOOL さんが主演していたドラマの主題歌である『WORLD CLIQUE』収録の「GROOVE IS IN THE HEART」を頻繁に聴いている。というわけで、まっちゃん、今度一緒に飲みに行こう!
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 「ダンス甲子園」の一大ブームも相まって、それまで身を潜めていたブレイクダンサーが『生ダラ』(Rock Steady Crew)や「Yo! J-RAP」の『オールナイトフジ リターンズ』(R-School)といった番組に登場し、ブレイクダンスに再び注目が集まるようになる。これは、そんな時期に当たる1996年に渋谷パルコ スペースパート3で上映された映画『WILD STYLE』のフライヤー。

2024年2月17日土曜日

言葉は歴史の産物(6)

 芸能人やスポーツ選手の性に関する事件がこのところ相次いで発生している。その中でも、一際世間の注目を集めているのがダウンタウンの松本による一連の行動なわけだが、私が松本の不祥事よりも遥かに深刻だと思うのは、「性加害」なるヘンテコな言葉を用いて彼らの不祥事を報じるマスコミの日本語荒らしである。恐らく、「性加害」なるヘンテコな言葉を用いる人間は、被害者 ↔ 加害者といった関係から、加害を被害に対置させているのだろう。しかし、加害は単独で使用可能な被害とは異なり、「加害者」という形でしか用いることができないのである。
 また、この性加害なる言葉は、「性」を接頭辞のように用いているが、性加害なる言葉も日本語には存在しない。もちろん、<性+2字熟語>はいくつも存在する。しかし、以前も説明したように、これらは性加害とは異なり“あらかじめ存在する3文字の熟語”なのである。そして、これらの言葉は英語で sex(ual) ~ と表現される。それでは性加害は英語でどう表現するか。表現できるわけがない。なぜなら、加害などいう言葉は英語にも日本語にも存在しないのだから。存在しない2字熟語に存在しない接頭辞を組み合わせた言葉、これが「性加害」なるヘンテコな言葉の正体である。
 あらかじめ存在する
<性+2字熟語>の中で、松本の女性に対する行動に最も近いのは「性犯罪(a sex crime) 」だが、犯罪かどうかは今のところ確定していないので、「性暴力」が適当だというのが私の意見。ただし、これも造語のフシがあるので、単に「暴行」としておくのが無難だろう。【暴行】は「他人に対して暴力を加えること。〔狭義では、女性を手込めにすることを指す〕」といった意を表し、【手込め】は「暴力で人に迫害を加えること。〔狭義では、強姦を指す〕」といった意を表す。
 この松本に対する反応は様々で、ある人間は「(飲み会に)行く女の方が悪い」あるいは「途中で帰れた」と松本を擁護し、また、ある人間は「奥さんと子供がいるのに不倫をするのは最低だ」と松本を批判する。しかし、これらの意見はどれも的を得ていない。松本のような芸能人の周りには、金をせびろうとする手合いが必ず現れるもので、今回の不祥事は、それを警戒せずキャバクラや風俗を利用しなかった松本に全ての責任がある。それにも関わらず、前者はこういった脇の甘さが全くと言っていいほど考慮されていないので✕。一方、後者はあまりに幼稚過ぎるので、これまた✕。確かに不倫は評価されるべきものではないが、田辺聖子さんの言うように「不倫は家庭の常備薬」であるならば、一概に否定はできないのである(田辺さんは大人だなあ…)。
 しかし、松本が自分の未熟さ以上に恥ずべきなのは、その魅力の無さであろう。もし松本が魅力的な男なら、関わりのあった女性は「松本に迷惑は掛けまい」と週刊誌に情報を提供しなかったはずだ。例えば豊田真奈美選手が大好きな
福山雅治がそうであるように、魅力のある男というのは、こういった決してイイ女とは言い難い異性とは無縁なものである。前回、ZOONさんが女の子に手を引っ張られていたという話をしたが、男ならこうでなくてはいけない。私はNさんほどモテモテだったわけではないが、それでも石田ひかり似のガールフレンドに「捨てられる…」くらいは言わせたことがある(爆笑)全ては女性にこういった行動を起こさせた松本が悪い!
 昨年、坂本龍一さんがガンで亡くなった。その坂本さんがガンを公表した際に私が思ったのは「やっぱりな」である。なぜ、私はそう思ったのか。それは、彼が先の松本および浜田のダウンタウンとTVで漫才をやってみせたり、ダウンタウンを GEISHA GIRLS に仕立てて活動していたからに他ならない。教授の所属していたYMOについては百々徹さんという方が素晴らしい文章を書いているが、坂本龍一はサブカルチャーをプロパガンダするセンス⁼エリートなのだ。一方、私が20年ほど前から「ジャンクフード」と呼んでいるダウンタウンは古川ロッパと違って教養が無い。松本と焼き肉を一緒に食べる仲だった安倍晋三が良貨かどうかは分からないが、やはりジャンクフード悪貨は良貨を駆逐する(死に至らしめる)のである。
 今は新NISAが何かと話題になっているが、今年ものっけからヘンテコな言葉が氾濫しているので、投資を考えている方はくれぐれも細心の注意を払うことを忘れなく。その際、
仕事が減るのを顧みず松本を擁護した勇敢(?)な人間のことがしっかりと頭に入っていれば、きっと彼(彼女)らがアナタにショートすべき銘柄を教えてくれることでしょう。遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。どうぞ本年も宜しくお願いします。

これは93年に銀座で開催されたパンク展で購入したもの。90年代前半は本当に目まぐるしかった。夏までダンスに夢中だった人間が冬にはACID JAZZやパンクにハマっていたのだから。この頃、ア⁼ストア⁼ロボット(ここも地下!)で購入したお店オリジナルのベルトをベルトが引きちぎれるまで10年以上使用していたのは良い思い出。

 これは93年に銀座で開催されたパンク展で購入したもの。90年代前半は本当に目まぐるしかった。夏までダンスに夢中だった少年が冬には ACID JAZZ や PUNK にハマっていたのだから。この頃、アストアロボット(ここも地下!)で購入したお店オリジナルのベルトをベルトが引きちぎれるまで10年以上使用していたのは良い思い出。

               「ル⁼ミレニュム」

左)パンクの仕掛け人マルコム・マクラーレンがPUNK19761977を総括する
  / MALCOLM MCLAREN

右)‘90年代のサイバーカルチャー / 浅田彰(評論家)

 坂本龍一は90年代に入っても、やはり伝道師だった。もし彼に出会わなければ柄谷行人や浅田彰という名前を知ることは無かったし、学問に興味をもつことも無かっただろう。教授の死は本当に残念でならない。


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 「フリカケ論争」

 つい最近、どこぞの界隈でフリカケ論争なるものが巻き起こったらしいが(フリカケがテーマだなんて、きっと吉本隆明さんは天国で苦笑いしていることだろう)、この論争に参加した自称論破王なる人間は「出された料理の味を勝手に変えるの失礼だから、学校はフリカケの持参を認めるべきでない」と宣ったそうだ。これを聞いて、私は思わず笑ってしまった。ラーメン屋で出されたラーメンに胡椒をかけるのが失礼にあたるだなんて話は、あまり聞いたことがない。
 
そもそも、なぜフリカケ持参の是非が論争になるのか。ご飯を食べるのが嫌なら残せばいい。しかし、そうはいかないから論争になるのだろう。私の弟はよく給食を残して教師に注意されていたようだ。そうであれば、子供がご飯を残さず食べる方法を提起できた方がこの論争の勝者ということになる。ご飯を残す事は農家の方に失礼であり、子供の成長にとっても好ましくない。
 その昔、ダウンタウンの松本がラジオで「例え食糧難の国の人間であっても、腹が一杯ならご飯は残す!」といった趣旨の(無教養な人間にしては立派な)発言をしたことがあった。これは味についても言えることで、日本の文化遺産である『美味しんぼ』には、どんなに空腹でも不味いものは食えないといった話が出てくる。体を大きくするために無理やり食べ物を胃の中に放り込むプロレスラーならいざ知らず、小学生はプロレスラーではないのだ。舌にあわないものを食べるのは大人にだって難しい。学校は今すぐカルシウムのたくさん入ったフリカケを各クラスに常備すべし!
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