2023年8月20日日曜日

プロレスLOVE論(2)

 本題に入る前に、まずはプロレスと競馬の関係について少しだけ触れておきたい。

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        大相撲             
         ↓…グレード制導入
■力道山(日本プロレス)    
・タマモクロス(初代春秋天皇賞馬) 風か「光」か = 百田「光」浩   
・シンボリルドルフ(初代三冠馬)         勝ち「方」を極めたい。
                       = the way of ~ing / to do 
                       = 力山              

■ジャイアント馬場              「王道」十六文
(日本プロレス → 全日本プロレス)          ||  
・スペシャルウィーク(第3代春秋天皇賞馬) 「王道」を歩み続ける強さ。※1  
・テイエムオペラオー(第4代春秋天皇賞馬)  王者の讃歌。      ※2

■アントニオ猪木(日本プロレス → 新日本プロレス)   
・ナリタブライ『アン』 皐月賞「3 1/2」馬身、「ダー」= 1、2、3、ダー!
   (第2代三冠馬)   ビー5馬身、菊花賞7馬身。 猪木寛「至」  イズム
・ディープイ『ン』パク『ト』(第3代三冠馬)    一着「至」上主義。
           
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 上の表から分かるように、実は国家の体裁はプロレスだけでなく競馬にも見て取れるのだ。そういったわけで、私は前々回の「日本語を荒らすもの」で「来年からは、教養競馬の対象レースをその年のGⅠレースから過去の名馬が勝ったレースに変更し、それを通して各名馬の軌跡をたどる作業をしていきたい」と述べたが、新教養競馬シリーズはこの6頭を皮切りに展開していきたいと思う。  
 それでは、いよいよ本題に入る。このところ、あのターザン山本が頻りに「アントニオ猪木には後継者がいない」といったことを口にしているが、果たして、それは本当なのだろうか。私は前田日明こそがアントニオ猪木の真の後継者だということを「プロレスLOVE論」で示した。なぜ、私は前田日明を後継者と看做すのか。それは、「みんなが格闘技に走るので、プロレスを独占することに決めた」馬場さんが絶対にやらなかったのが異種格闘技戦(※3)で、その後の格闘技ブームの先駆けとなる UWF → リングスを旗揚げしたのが彼だからに他ならない(※4)。
 「 異種格闘技戦というのは、極端な話、高校の柔道部と空手部がやっても成り立つ。それに対し、猪木さん、そして我々UWFインターがやっているのは、プロレスこそが最強であるという看板をかけた“格闘技世界一決定戦”であって、他団体が行っている“異種格闘技戦”とは違う。」こう語ったのは、UWFインターの宮戸優光である。  
 ターザン山本と言えば、ある時期、アントニオ猪木と自分の区別がつかなくなって、プロレス界を追われた名物編集長として知られる。つまり、彼の主張の根拠は、あくまで大好きな猪木を他人のものにしたくないという個人的な感情に過ぎないのであって、格闘技即ちアントニオ猪木のアイデンティティを全く踏まえていないのだ。ターザンよ、U(WF)が猪木だ!

※1…スペシャルウィークが春秋天皇賞を制覇した1999年 = 平成11年 = 正平元年
※2…【王者】国王である人。〔狭義では、“王道”で国を治める人を指す。↔ 覇者〕
※3…アントニオ猪木がレスリングの出来ない大仁田厚を嫌いつつも、彼の生き様を高く評価するのは、大仁田が異種「格闘技」ではなく、「異種」格闘技 = 電流爆破デスマッチの選手だからですね。全日でキャリアをスタートさせた大仁田厚が、やがて全日の社長に就任する武藤敬司と入れ替わるようにして、蝶野正洋と新日のマットで戦う。ああ、なんという運命の悪戯。だから、私はプロレスを愛さずにいられないのだ。プロレス万歳!
※4…蝶野正洋と前田日明が爆食い!→ https://www.youtube.com/watch?v=xJhfcMfsdRk

〔おまけ〕
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「言葉は歴史の産物(4)」  
 
 
先程、※4でとても参考になるYouTubeを紹介したが、YouTubeと言えば、私はココで見かける2つの言葉が以前からずっと気になっていたので、今回はそれについて論じたいと思う。まず1つ目は「動画」という言葉である。それまで私は「活動写真を連想させる言葉で何だか古臭いなあ」と感じつつ、この言葉を使っていたわけだが、つい最近、【動画】がアニメーションを意味する言葉なのを知った(何たる無知!)。それは古く感じるはずである。アニメを動画などと普通は言わないのだから。そこで、一体、何という言葉が「動画」に相当するか英語圏の人向けのYouTubeで確認したところ、この言葉は「MOVIE」の訳であることが判明した。  
 なぜ、MOVIEの訳が映画ではなく動画なのか。それは、YouTube にアップされる映像が『金曜ロードショー』や『日曜洋画劇場』で取り上げられる作品とは異なるのと同時に、MOVIEが motion picture の同義語だからだろう。映画では2時間ものの映像になってしまうが、【motion】「動」作 +【picture】絵[図]「画」= 動画で、これなら映画とは違った意味を表せると。しかし、これで解決とはいかないのだ。なぜなら、【motion picture】の意味もやはり映画で、【動画】を意味する英語は a cartoon film および an animated cartoon  だからである。

1.映画 = movie = motion picture
2.テレビの映像 = the picture on the TV screen
3.the picture on the TV screen の the TV screen を YouTube と入れ替えれば、motion「picture」= the「picture」~ で、MOVIEの訳は動画ではなく映像とするのがベストなのが分かる。日本語でも「映」画 → 「映」像で完璧!さっそくシンエイ動画をポートフォリオに組み入れると同時に(笑)、「動画編集」という言葉を売り文句にしている会社の株をショートしたいと思う。
 もう1つは「配信済み」という言葉である。これも英語圏の人向けの YouTube で確認したところ、こちらは「Delivered」であることが判明した。【deliver】の代表的な意味は「配達する」であることから「配」達 →「配」信としたのだろう。しかし、これは誤りなのだ。この deliver が「配達する」という意味になるのは、目的語が“モノ”の場合であって、映像のような“コト”の場合は「配達」ではなく「伝える」といった意味になるからだ。   
 この Deliver(ed)に相応しいのは、やはり「放送」だろう。

1.目的語がコトの deliver = 伝える
2.【放送】①拡声器を使って、多くの人に伝えること。②〔テレビ・ラジオで〕電波に乗せて種々の番組を送ること。
3.deliver = 伝える = 拡声器を使って、多くの人に「伝える」こと

よって、Deliver は電信という言葉から生まれた特殊な言葉である配信ではなく(詳しくは「言葉は歴史の産物(3)」を参照のこと)放送がベターなのだ。ちなみに、放送に対応する英語は broadcasting で、これは主にテレビやラジオの放送を指すが、日本語の放送は拡声器による伝達も放送に該当するから特に問題はないし、何より、赤の白抜きで表示される【ライブ】は「生中継。実況放送。」といった意を表す。それにしても、「生配信」なる言葉を平然と口にできる人間は凄い。生delivery。生配信(笑)しているトレーダーや競馬の予想屋の多くが大損しているのも納得だ。  
 改めて言うほどの事でもないが、今、日本語は乱れに乱れまくっている。恐らく、日本が再浮上する可能性は極めて低いし、日本人は今後もずっと貧乏なままだろう。私の「言葉は歴史の産物シリーズ」が、そういった社会を生き抜くための一助になれば幸いである。
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2023年8月2日水曜日

新教養論

 鷲田小彌太師匠が2週に渡って『「邪馬台国」はなかった』の古田武彦および『聖徳太子はいなかった』の石渡信一郎を「読書日日」で取り上げた。私が両氏を最初に知ったのは、今から20年以上前に入手した師匠の『日本人のための歴史を考える技術』で、司馬遼太郎さんは意識的に①ヤマト朝廷以前②南北朝時代③日露戦争以降の3つの時代を書かなかったこともあり、当時は①古代史の空白を埋めるべくこの本を読んでいた。しかし、「教養競馬シリーズ」開始以降、この本は古代史とは全く別の意味合いを帯び、今では私の知的生活に無くてはならない1冊となっている。
 私の「教養競馬シリーズ」は3つの要素から成り立っている。まず1つ目は「推理」である。昔から言われるように、競馬は“推理するスポーツ”であって、これは何も私の「教養競馬シリーズ」に限ったことではない。サイン読みの大家である高本公夫氏の息子も氏を「推理小説家」と評している。そうそう、推理と言えば、鷲田小彌太師匠は『なぜ、北海道はミステリー作家の宝庫なのか?』の著者でもある。なので、私はずっと師匠に高本公夫論を書かせたいと思ってきたのだが(高本氏は北海道出身)、氏の著作は一説には200冊とも言われ、尚且つ1冊数万円という高値で取引されている本も少なくないので、実現するのは無理だろうと半ば諦めている。
 2つ目は「文学」である。四方田犬彦先生は英文学者の由良君美氏から「文学作品を読むには最初に登場人物の名前の意味を見ろ」というチョー重要な文学の読解法を学生時代に叩き込まれたそうだが、私の馬名の文字や意味から勝ち馬を探る予想法は、この由良君美氏の方法と全く同じだと言ってよい。もっとも、この馬名を手掛かりにした予想法は、私のオリジナルではなく、柳瀬尚紀氏の「馬名プロファイル」を踏襲したものだが。そう言えば、四方田先生の本には、しばしば柳瀬尚紀氏の名前が登場する。ということは、私も四方田先生の弟子ということか!?
 そして、3つ目は「歴史」である。私の予想は、まず、予想するレースが行われる日にどういった歴史的事件があったかを確認するところからスタートする。そして、その事件を出馬表の中に読み込んでいく。これこそが、タイムや血統で予想する人間と私とを峻別する世界でも類を見ない私オリジナルの方法で、この予想を通して“通史”を完成させるのが、現在の私の目標である。
 なぜ、『日本人のための歴史を考える技術』は私の知的生活に無くてはならない1冊なのか。それは、この本に登場するキーパーソンが先の3つの要素にピタリと合致するからである。1つ目の「推理」は推理小説家が盗作する程の論文を書き上げた先の古田武彦氏。史料読解は非常にスリリングな作業であることを教えてくれる。2つ目の「文学」は「てんのう」を通して名前の重要性を教えてくれる宮崎市定氏。3つ目の「歴史」は、専門知を必要としない歴史の重要性を教えてくれる
デイヴィッドヒューム。ちなみに、私の教養競馬とは、平たく言えば“試験に出る競馬“のことであり、これはヒュームの歴史よりもずっと実用的である(笑)
 それ故、この本は私の知的生活に無くてはならない1冊となったのだが、それにも増して、この本を必要不可欠な1冊たらしめたのは、国家の体裁について考察した以下の記述である。「象徴的な権威的存在と政治権力的存在が分離した社会というのは、これまで古い未開社会に特有な社会だと言われてきた。しかし、きちっとした国家の体裁をとるほど象徴的な権威的存在と政治権力的存在は分離するのであって、これが、近代社会だけではなく、国家統治がとる一般的な形なのではないか。」
 これは何かに似ていないだろうか。そう、これは、私が前々回の「プロレスLOVE論」で述べたジャイアント馬場とアントニオ猪木の関係性そのものなのだ。経営の変化に社会の変化を読み取ったピーター
ドラッガーではないが、プロレスに国家の体裁を読み取れるからこそ、私はあの頃のプロレスが大好きなのである。日本の政治家は竹下登までというのが定説になっているが、その竹下登が辞任した1989年、アント二オ猪木は参院選議員に当選した = 政治権力的存在となった。師匠、『教養論』(PHP文庫)にプロレスを付け加える時期が来ましたよ!


令和の最強タッグとして呼び声が高いMH砲(笑)