2023年8月2日水曜日

新教養論

 鷲田小彌太師匠が2週に渡って『「邪馬台国」はなかった』の古田武彦および『聖徳太子はいなかった』の石渡信一郎を「読書日日」で取り上げた。私が両氏を最初に知ったのは、今から20年以上前に入手した師匠の『日本人のための歴史を考える技術』で、司馬遼太郎さんは意識的に①ヤマト朝廷以前②南北朝時代③日露戦争以降の3つの時代を書かなかったこともあり、当時は①古代史の空白を埋めるべくこの本を読んでいた。しかし、「教養競馬シリーズ」開始以降、この本は古代史とは全く別の意味合いを帯び、今では私の知的生活に無くてはならない1冊となっている。
 私の「教養競馬シリーズ」は3つの要素から成り立っている。まず1つ目は「推理」である。昔から言われるように、競馬は“推理するスポーツ”であって、これは何も私の「教養競馬シリーズ」に限ったことではない。サイン読みの大家である高本公夫氏の息子も氏を「推理小説家」と評している。そうそう、推理と言えば、鷲田小彌太師匠は『なぜ、北海道はミステリー作家の宝庫なのか?』の著者でもある。なので、私はずっと師匠に高本公夫論を書かせたいと思ってきたのだが(高本氏は北海道出身)、氏の著作は一説には200冊とも言われ、尚且つ1冊数万円という高値で取引されている本も少なくないので、実現するのは無理だろうと半ば諦めている。
 2つ目は「文学」である。四方田犬彦先生は英文学者の由良君美氏から「文学作品を読むには最初に登場人物の名前の意味を見ろ」というチョー重要な文学の読解法を学生時代に叩き込まれたそうだが、私の馬名の文字や意味から勝ち馬を探る予想法は、この由良君美氏の方法と全く同じだと言ってよい。もっとも、この馬名を手掛かりにした予想法は、私のオリジナルではなく、柳瀬尚紀氏の「馬名プロファイル」を踏襲したものだが。そう言えば、四方田先生の本には、しばしば柳瀬尚紀氏の名前が登場する。ということは、私も四方田先生の弟子ということか!?
 そして、3つ目は「歴史」である。私の予想は、まず、予想するレースが行われる日にどういった歴史的事件があったかを確認するところからスタートする。そして、その事件を出馬表の中に読み込んでいく。これこそが、タイムや血統で予想する人間と私とを峻別する世界でも類を見ない私オリジナルの方法で、この予想を通して“通史”を完成させるのが、現在の私の目標である。
 なぜ、『日本人のための歴史を考える技術』は私の知的生活に無くてはならない1冊なのか。それは、この本に登場するキーパーソンが先の3つの要素にピタリと合致するからである。1つ目の「推理」は推理小説家が盗作する程の論文を書き上げた先の古田武彦氏。史料読解は非常にスリリングな作業であることを教えてくれる。2つ目の「文学」は「てんのう」を通して名前の重要性を教えてくれる宮崎市定氏。3つ目の「歴史」は、専門知を必要としない歴史の重要性を教えてくれる
デイヴィッドヒューム。ちなみに、私の教養競馬とは、平たく言えば“試験に出る競馬“のことであり、これはヒュームの歴史よりもずっと実用的である(笑)
 それ故、この本は私の知的生活に無くてはならない1冊となったのだが、それにも増して、この本を必要不可欠な1冊たらしめたのは、国家の体裁について考察した以下の記述である。「象徴的な権威的存在と政治権力的存在が分離した社会というのは、これまで古い未開社会に特有な社会だと言われてきた。しかし、きちっとした国家の体裁をとるほど象徴的な権威的存在と政治権力的存在は分離するのであって、これが、近代社会だけではなく、国家統治がとる一般的な形なのではないか。」
 これは何かに似ていないだろうか。そう、これは、私が前々回の「プロレスLOVE論」で述べたジャイアント馬場とアントニオ猪木の関係性そのものなのだ。経営の変化に社会の変化を読み取ったピーター
ドラッガーではないが、プロレスに国家の体裁を読み取れるからこそ、私はあの頃のプロレスが大好きなのである。日本の政治家は竹下登までというのが定説になっているが、その竹下登が辞任した1989年、アント二オ猪木は参院選議員に当選した = 政治権力的存在となった。師匠、『教養論』(PHP文庫)にプロレスを付け加える時期が来ましたよ!


令和の最強タッグとして呼び声が高いMH砲(笑)

0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。