2012年12月16日日曜日

大衆への反逆

 先程、ある芸人のツイートをチラッと見ていたら「選挙に出る人にバカもいるが、選挙に行かなくてもイイという人は本当のバカ」というのがありました(50年も生きてきた人間のアドバイスとしては、少しばかり寂しい)。本日は、わがUK内閣のマニフェストを公表する予定でしたが(笑)、衆院選投票日ということもあるので、これについて先に検討することにします。

 まず初めに
、日本には憲法に体現されている「国家理念」というものがあります。次に、憲法99条には「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」とあるので、政治家は憲法の枠内から出ることができません。よって、仮に共産党が政権を奪取したとしても、極端な話、自民党とやることは何ら変わらないということになります。国家理念が同じなわけですから。投票するのは趣味の問題であり、それほど意味がない。これが、選挙に行かなくてもいい第1の理由。

 ちなみに、日本人に経済的繁栄だけでなく、平和と安全、平等、女性の社会進出および地位向上などをもたらした、この極めて有益な『日本国憲法』は、アメリカの軍事力を背景に成立しています。それを“属国”というのでしょうが、それでも、ソ連と中国が対立している間は、それをカードにアメリカの無理な要求をかわすことができました。しかし、ソ連が崩壊した後は、アメリカの要求は強まるばかりなので、日本は憲法を見直す時期に来ているのではないか?これらのことを鷲田文部大臣(笑)に、著書を通して教えていただきました。

 話を元に戻しますが、では、自民党と共産党が同じであるにも関わらず、何故に選挙をする必要があるのか?
選挙というのは多数決で決まりますが、多数決というのは1人1票を原則としています。橋爪大三郎さんが主張するように、こういった“個人が一票に還元できる(=平等)”システムこそ民主主義のエッセンスであり、それを担保するために実施されるというのが私の考えです(注1)。この民主主義というのは、自由主義を実現するための手段である以上、選挙に行く行かないは自由である。これが行かなくていい2つ目の理由です。



 
では、反対に選挙というのは必ず行かなければならないものだと仮定します。この芸人は政治も分からずに、「あの人はカッコイイから投票する」「アイツは憎たらしいから入れない」といった理由だけで選ばれた候補者を良しとするのでしょうか(マンガしか読んでいない人間でも首相になってしまう!)。谷沢永一先生が言う「政治家がダメなのではなく、それを選んだ国民がダメ」というのはこのことです。これでも、まだ行かない人間がバカだと言えますか?分かる人間だけが投票した方が良い結果を得られるという学者もいるくらいです(注2)。





 日本の政治というのは上で述べた通り、誰が選ばれても、それほど何かが変わるわけではありません(首相がコロコロ変わってもOK)。しかし、もし仮に選ばれた候補者によって「国家理念」が変わるようであれば、政治の何たるかも知らないハンパ者のツイートを受け入れることは、“ポピュリズム”に陥る危険性があります。これが行かなくてもいい3番目の理由。自分なりに一生懸命考えたのでなければ行かないというのが、有権者に求められる賢明な態度ではないでしょうか?あるいは、嫌なヤツに投票してみるというのはどうでしょう?



 
注1・・・私が“一票の格差”の解消にそれほど積極的でないのも、投票によって代表者を決めるというのは二義的なことであって、平等を担保するためのシステムだと考えているからです。若干、循環論法の嫌いは有りますが…


 注2・・・


2012年12月2日日曜日

経済学概論③

 
 最終回である今回は、資産の種類→リスク といった順に話を進めていきたいと思います。まず資産の種類ですが、これにはマイホームのような実物資産と、株式のような金融資産があります。伝統的な財産3分割法というのは、土地・預貯金・株式に投資しろといったものですから、すでにご承知の方も多いでしょう。インフレの時というのは、マネーに対するモノの価値が高いので、当然、前者を所有した方がいいのは言うまでもありません(もちろん、デフレはその逆です)。

 
次にリスクの有無に関してですが、せっかくなので、ここでは利用価値大だという例の簡易版データを使ってみることにします(笑)まず始めに、p.18〜p.19の「金の国内価格」のグラフとp.48〜p.49の「ドル・円相場」のグラフを見てください。次に各商品の最高値と底値をチェックしたら、その差がどれだけあるか計算してみましょう。はい、そうです。崩壊したと言われているドルが、実はそれほどハイリスクではないことが分かりました。これが外貨の基本的性格です。

 今はデフレ経済(というより、正確には“不景気”)なので、実物資産は金融
資産に比べて不利です。また、金は外貨に比べてリスクが高いことから、運用する額が多ければ多いほど注意が必要になってきます。では、どういった資産運用がベストなのでしょうか?⇒ここからは、会員の方のみご覧いただけます(注1)






 この人の場合、アメリカがやることは何でも悪く見えてしまうようなので(笑)、物価という概念を考慮する前に、どうしても感情が先立つことになる。それは、ロボット・トレーディングのところで引き合いに出されている“金融工学”に対しても同様です。強欲に金儲けしているといった側面ばかり強調されていますが、金融工学というのは、本来、リスクを把握するための重要な技術なわけです。そこを間違えてはいけない(注2)。「基軸通貨」ということの意味と合わせて、もう一度確認しておいてください。



 国家を当てにできない以上、自分の資産は自分で守るほかないが、今の預金金利ではどうにもならない。おまけに、銀行にはペイオフといった制度もある。預金以外にどういった運用をしていけばよいのか?『新たなる金融危機に向かう世界』というテキストは、そういった問題に対して、(反面教師的に)非常に役立だったのではないでしょうか。



 注1・・・



 注2・・・UK式・経済学カリキュラム
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  数Ⅰ===========数Ⅱ〈微積〉                 ↓        (斎藤精一郎)  ↓                  統計学→マクロ経済学===ミクロ経済学            (竹内啓/    |         (根岸隆)                佐和隆光)     ↓                     ↓             (  〃   )計量経済学 ーーー→金融工学                                             (ヤコブ・マルシャック)(今野浩/野口悠紀雄)


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2012年11月28日水曜日

安倍内閣はアブナイ閣

 昨今、日本の政界では、デフレ脱却といったことがしきりに言われています。 昨日も『たけしのTVタックル』を見ていたら(普段はほとんど見ない)、やはり、そのテーマで盛り上がっていた。安倍総裁に限らず、大竹まこと以外の(笑)多くの出演者もまた、日銀は金融緩和をして景気を回復させるべきだと主張していました。経済学のごくごく初歩的な入門書には「景気がいい(悪い)=物価高(安)」と出てきますので、それも当然なのでしょう。

 確かに、景気と物価には相関があります。金融緩和によって物価が高くなれば、先の原則から、景気が良くなると考えるのも自然なことかもしれません。しかし、日銀が金融緩和をして物価が上がるのは、それによって、金利が下がった結果、資金を借りやすくなった企業(デフレファイター)が設備投資[I]をするからです。いわば、景気と物価というのは、小室流でいうところの“恒等式”的な関係であって、物価が上がった結果、景気が良くなるのではない(注1)。

 このように、物価というのは景気に連動しなくてはいけない。物価を上げたはいいものの、それでもし景気が回復しなかったらどうなるのか?それこそ、金融資産は目減りするだけということになりかねない。インフレというのは、金融資産の目減りと裏表の関係であって、そこを誤解している人間があまりにも多い。だからこそ、“インフレファイター”である日銀は、そういった事態を警戒するし、消費者物価をゼロにしているのである。今回の件に関しては、良識ある判断だったと言うほかない。

 つまり、マネーがジャブジャブにも関わらず、全く企業活動に反映されていないところに、今の日本経済の問題がある。やはり、それは「経済学概論②」で述べたように、元安ということとも密接に関係してくる
。どこかの無能な政治家のように、小渕内閣の財政出動に何も学ばず、金融緩和により、さらなる国民への背信行為を続ける政策はどうなのか?それよりも、いま必要なのは「プラザ合意」のような為替政策だろう。



 注1・・・金融緩和した結果、物価が上がって…というのは、古典派の貨幣数量説といったイメージがある。〔M=kPY〕で表されるこの理論は、初めから完全雇用が達成されているので(景気がいい)、景気回復とは何ら関係がない。






 

 





2012年11月25日日曜日

経済学概論②

  国内のマクロ政策では景気回復は如何ともし難いことは、前回確認しました。どうやら、自分の資産は自分で守るほかなさそうです。そこで、次回は②金(実物資産)への投資について触れるわけですが、その前に少しだけ国外に目を向けてみたいと思います。

 世界はこういった状況ですから、オカルト本、失礼、副島本によると、アメリカ大統領はオバマからヒラリーに代わるらしい。BAD COPであるヒラリーが戦争によって景気を刺激するというわけです。しかし、それで本当に景気が回復するんでしょうか?というのも、「昭和30年代以降」、株式投資の世界では、「戦争は売り」というのが常識になっているからです。恐らくこれは、ヘクシャー・オーリン・サムエルソンの定理(注1)によるものではないかと、私なんかは考えています。

 詳しくは『国民のための経済原論Ⅱ』に譲りますが、要するに、これまでレーニンの『帝国主義論』にみられた植民地支配というものが、実は貿易によって解決されることが証明されたわけです。この考え方を背景とした「比較優位説」というのは、相互に依存することを前提としているので、戦争は生産活動にとってマイナスでしかありません
。これは、将来にわたって大きな戦争が起こらないことを意味します。ヒラリー大統領誕生という予言は外れました(注2)。

 このように、我々はいま、相互依存による平和な世界に住んでいます。そこで起きるのは、戦争ではなく“通貨”の問題であり、どうやら不況の原因もここにありそうです
。「輸出国家」である日本にとって、アメリカと中国というのは最大のパートナーなわけですが、この2国に対して円は非常に高い。また、中国にとって日本は最大の輸入相手国なので、日中両国にとって人民元(レンミンビ)が切り上がるのは望ましい(注3)。それにも関わらず、なぜ人民元は切り上がらないのか?

 一見、アメリカが促しているのに対し、中国が必死で抵抗しているといった印象を受ける。しかし、今のままで好都合なのは、実はアメリカなのである。というのも、アメリカは昔から「輸入国家(=国内消費中心)」であり、中国はカナダと並ぶ最大の輸入相手国だからである。切り上げたいと思っているのは、どちらかといえば中国の方だろう。中国は輸入・輸出がほぼ半々なので、元が安いということに、それほどメリットがない。

 また、中国内部の政治といったものも、元の切り上げを阻んでいる。今までの中国経済というのは、元高に肯定的な北京派=共青団系ではなく、否定的な太子党が舵取りをしてきた。この上海閥を中心とした太子党には、海外にドル建ての資産を隠し持っている人間がたくさんいるので、元高を嫌っているというのが本書である。恐らく、これは本当でしょう。アメリカが彼らを支援しているというのも筋が通る。

 アメリカにとって日本はそれほど大きな輸入相手国ではないので、たとえドルが円より安くても、現状維持がいいというのは説明しました。日本はここをどうするのか?(注4)今後の中国の動向とともに注目です。



 注1・・・サムエルソン『経済学』(岩波書店、「初版1948年」)



 注2・・・


 注3・・・あえて入手する必要もないとは思いますが、経済データの簡易版としてなら、本書は利用価値大です。例えば、p.71にある元相場のグラフと日本の株価のグラフ(こちらは本書にない)を比べてみると、面白いかもしれません。もう少ししっかりしたものとしては、財務大臣である(笑)野口悠紀雄さんオススメの『経済統計の「超」読解術』があります。いずれにせよ、金利と物価ぐらいは、いつもチェックするよう心掛けましょう。
 注4・・・この問題を指摘したのは「飛耳長目」が初めてなので、今のところ、日本に対応できる政党はありません。ドルやユーロが安いのは、輸出のための戦略といった理解しかできないようじゃ困るよねぇ(笑)



 


2012年11月18日日曜日

経済学概論①

  つい最近、ユダヤ金融資本から資産を守るためではありませんが(笑)副島隆彦著『新たなる金融危機に向かう世界』を手に取る。米国発の金融危機によって、ドルは崩壊し、世界は不況に陥った。このような不況下にあっては、①政府による財政政策、および②金(実物資産)への投資が重要である。こういったところが、本書に限らず副島経済・金融本にみられる共通のテーマなわけですが、果たして本当にそうなんでしょうか?
 
 

 まず①に関してですが、この人の経済理論というのは、基本的には(サムエルソンを解説した)小室直樹さんそのものです。いわゆるケインジアンですね。確かに、固定相場制であれば、本書でも主張する財政政策中心の理論というのは
有効でしょう。実際、サムエルソンは1960年代に隆盛をきわめました。しかし、日本は1971年のスミソニアン合意の後、1973年にブレトンウッズ体制から変動相場制に移行します。

 変動相場制における理論では、それまでのIS-LMモデルとは異なり、海外部門[rw=世界金利]を考慮しなければなりません。なぜなら、資本はより高い金利を求めて移動するからです。資本が流入すれば、当然、為替レートは増価します。よって、仮に財政出動したとしても、その効果は一時的ということになります。一般に変動相場制においては、財政政策は無効であり(注1)、金融政策が有効だとされています。

 


 財政政策のもととなる国家の予算(注2)というのは、おおまかに言って税金[T]と国債で成り立っています。そのうち景気を構成する消費は〔所得-T〕(可処分所得)と定義されるので、増税は景気回復の邪魔になりかねません。また、国債にしても、国家が政策に使えるのは、歳入から国債の利払い費(これをIPという)を除いた額なので、発行すればするほど利払い費は増え、政策に使える額は限定されてしまう。

 これは国家のスタビライザーとしての機能が果たせなくなることを意味します。「経済的自由権」というのは“積極目的の規制”を受ける
ので(注3)、現在の国の借金から考えたら、仮に財政政策が有効であったとしても、実行するのは難しいでしょう。また、有効である(とされている)金融政策にしても、ただただ金利が下がるのみです。これは預金[S]している国民に対する背信でしょう(企業はほぼ無利子で借入できる!!)。

 中には、さらなる金融緩和を訴えている政治家もいるみたいですが、官僚にバカにされつくしたというのも分かるような気がします(笑)まぁ、頑張ってほしいですが…。それはさて置き、では、一体どうすればいいのでしょう?次回はそれについて触れてみたいと思います。



 注1・・・
 



 注2・・・かつて、政治は「国家経営」であるとのもと、一般会計予算を用いて歴代首相を評価しようと試みたが、どうにもうまくいかない。そんな折、『無策!』(長谷川慶太郎・森木亮の両氏による対談)という本でバランスシートの話が出てきたときには、目からウロコが落ちた。この本では、その他に「ドルは今後も基軸通貨たりうるか?」といった興味深いテーマも扱っている。

 注3・・・副島さんは別の本で「非正規社員を正社員に近づけるのではなく、正社員を非正規社員のレベルまで下げる云々」といったことを口にするおかしなオッサンを批判していましたが、派遣ビジネスというのは、これから何とかしなければいけない大きな社会問題だといえます。


 

 


2012年10月28日日曜日

読書(競馬?)の秋

 買ったのはもう10年以上も前になるだろうか?つい最近、必要に迫られたこともあり、小室直樹著『日本資本主義崩壊の論理』を2日ほどかけて読み終える。プロテスタントにみられる資本主義の精神は、かつての日本にも存在した。資本主義の精神とは、つまるところ「行動的禁欲」(注1)を意味するわけだが、では、この「行動的禁欲」は日本で一体どのようにして生まれたのか?それを解明しようとしたのが山本七平氏の『日本資本主義の精神』、ひいてはこの本を解説した本書である。

 古来、仏教において救済を得るためには、出家して修業しなければならなかった。これはつまり労働の禁止を意味するわけだが、労働が忙しい農民には、到底、そういった時間は捻出できない。ではどうするか?それを解決したのが江戸時代の思想家であった鈴木正三だというのが本書である。正三は「農業則仏行なり」と主唱する。つまり、農業に従事することが修業そのものであると。仏教において労働が禁じられていた時代、この発想がいかに革命的であったかは想像に難くないでしょう。

 労働が禁じられるとは、それに付随して発生する利潤も否定されるわけだが、農業則仏行であれば、当然、利潤も発生してしまう。そこで、次に必要な手続きが「利潤の正当化」ということである。しかし、これではまだ不十分で、最後に利潤肯定に反対する勢力が必要になる。それによって、利潤は消費[C]には向かわず、投資[I]に向かい拡大再生産される[Y]からである。これが「行動的禁欲」と呼ばれるものの正体である(注2)。

 このように、労働を禁止していた仏教においては、「利潤の正当化」を必要とした。しかし、なぜプロテスタントにおいても同様の手続きを必要としたのか?宗教改革とは、中世カトリック修道院から世俗外的禁欲を引き出したものであるが、これはすなわち「働かざる者食うべからず」(労働の肯定)ということに他ならない。もちろん利潤の追求が禁じられていたことは、時代からいって言うまでもない。では、なにゆえ、改めて「利潤の正当化」をする必要があったのか?(注3)これが今後の研究における1つ目の課題。

 そして、「近代」資本主義が成立した後に、なぜ、「アメリカ病(⊃イギリス病)」といった病気が発生するのか?これらの病気は「行動的禁欲」が無くなった結果生じるわけだが、例えば、日本でこういった病気が発生するのは理解に難くない。なぜなら、鈴木正三以前、仏教において労働というのは、修業とは正反対に位置していたからである。しかし、キリスト教における労働というのは、中世の頃からずっと「行動的禁欲」だった以上、理論的に考えるなら、本来あり得ないことである。(もっとも、今までずっとそうだったから、今後もそうなるという保証はないが・・・)そして、これが2つ目の研究課題。

 ちなみに、谷岡一郎著『ビジネスに生かすギャンブルの鉄則』という本には、本書が“ギャンブル(=投資)を肯定”する本として紹介されている。しかし、これはこじつけ以外の何物でもありません。確かに「行動的禁欲」は上で説明したように利潤を“投資”することを意味します。しかし、それはあくまで“救済”を得ることを前提にしたものであったはず。ギャンブルはそれを前提にしているでしょうか?一発逆転を狙うのも救済とは考えられなくはありませんが(笑)、それは生・老・病・死から来る悩みとは根本的に違いますね。

 もし、この著者がギャンブルを肯定したいのであれば、むしろ『論語』を引用すべきだと思います。そこで次に紹介したいのが、谷沢永一氏と渡部昇一氏が対談した『人生は論語に窮まる』(注4)という本。この本には“博打”という項目がありますが、ここで語られている内容に比べると、先の『ビジネスに生かすギャンブルの鉄則』は格段に深い洞察がなされています。もちろん、この本は孔子全般についての本であって、ギャンブルの本ではないので、当然といえば当然ですが。

 いずれにせよ、これらの本は3冊1セットで読むことをオススメします。そして、いずれこれらの本を読んだ人の中から、ビジネスだけでなく国家のリーダーとして活躍する人材が出てきてくれれば、紹介した甲斐があろうというものです。



 注1・・・かつて、城南電機の経営者であった故・宮路社長がパチンコの必勝法を尋ねられた際、「パチンコに勝ちたければ、パンチラなんて気にするな!」と答えたが、行動的禁欲とは正にこのこと。“救済”を前提としていないって?細かいことは気にしない(笑)
  注2・・・だったら初めから利潤を否定すればいいじゃないかとも思うが、恐らく、もし初めから利潤を否定してしまったら、その元である労働自体も否定することになりかねない。よって、まず利潤を肯定して労働を可能とした後、利潤を否定して労働の形態を残した ーつまり、現在の生活を変えずに修業を可能にしたー というのが、本書にはないワタクシメの考え。なんか刑法みたいやね。
   注3・・・本書のp.126を参照。
   注4・・・鷲田小彌太先生は、いろいろなところで『論語』を扱った本について書いているが、ついぞこの本のタイトルを目にすることはなかった。紹介したくないくらい重宝してるってことですよね、先生(笑)